糸永いとなのイヤホンコードはほどけない

迷盤のライナーノーツ、俺の通信簿みたいだね

半年

私は音楽に関してなかなか権威主義?なので評判が高い"歴史的"名盤をよく聴く。その反動として古い音楽ばかり聴くことになるのだが…。

それはそうと歴史的名盤と評されているのに自分にはさっぱり良さがわからないってなることがまれによくある。

その例としてデヴィッド・ボウイのジギースターダストがあげられる。

このアルバムは当時アマゾンでむちゃくちゃ評価が高くて(まだアマゾンがそれほどメジャーなサイトじゃないとき)、洋楽好きならこれを理解できないわけないという風潮に流されツタヤでCDをレンタルしてきて聴いたのだが全然良さがわからなかったのだ。しかしアマゾンでは絶賛の嵐だったので私の方がおかしいんだと思うことにしてジギースターダストを暇があるときにはとにかく聴くことにした。

こんな変な猫みたいな声でさほどメロディアスでもない(その当時はQueenが自分の中で基準だったので)ものが何故評価されているのだろうかと聴くたびに思っていた。

当時はSpotifyのようなサブスクのない時代。CDをレンタルしてくるかitunesでアルバム1枚1600円くらいで購入するしか音楽を楽しめる手段がなかった。それもジギースターダストを良さも分からないのに聴き続けた理由の一つであった。当時はアルバム1枚にもお金がかかったので良さがわかるまでしゃぶり尽くしてやろうというもったいない精神があったのだ。

そして約半年後、今でも覚えているが夏のスーパーから買い出しの帰り道にいつものようにジギースターダストを聴くと「あれ?これすごくいい曲なんじゃないか?」と急に思えてきた。脳の中でパズルがうまく組み合わさったような感覚だった。半年経ってようやく良さが分かった瞬間だった。

これを書いていて思うのが、なかなか自己洗脳的でやばい感じだなということ。やばい宗教とかハマる才能がありそうで怖いなと。でも結果的に自分の好きなアルバムが1つ増えて良かったのである。

今の時代、嫌いな曲があったらすぐ飛ばして聴けてしまう。でも私はあの半年の苦行を耐えたから結果としてジギースターダスト、またデヴィッド・ボウイというアーティストを好きになれたので良い苦行だったと思う。